・・・異国素描 1・・・

     ・・・異国素描2・・・
                      
それはイスタンブールからはじまった・・・

 プチホテルの窓から・・パリ


海外で出逢った人々 そしてスケッチとエッセイ・・・佐藤緋呂子

トルコ・フランス・インド・スイス・・・

  月昇る国・トルコ・・・・イスタンブール


  イスタンブールの個展会場に 衣装を変えれば、オスマン帝国のスルタンそのものの

 風貌をしてやって来た紳士エルジャンさんが言った。

 『あなたの絵を見て青の美しさを改めて知りました・・・』

  トルコブルーの国の人に最高のほめ言葉をいただいて、とても嬉しかったことが

 忘れられない。


  『月昇る国と日昇る国がイスタンブールで出逢います』こんなキャッチフレーズのジャパン・

 フェスティバルの招待状を戴いたとき、回教の国なので『裸婦の絵はどうなのでしょうか』と

 トルコ大使館のレセプション会場で大使のウトカンさんに尋ねた。

 『トルコでは政治、宗教、芸術はそれぞれが独立している自由の国です。

 どうぞ素晴らしい絵をたくさん 見せてください』 きっぱりとした答えがかえってきた。
   
 (そういえばチルレル首相は女性でした。日本より進んでいる・・・?)


  そして半年後の1994年 まだ見ぬ憧れのトルコをわたしなりにイメージした日本画、大

作も含めた10点ほどの作品とともに秋田と緯度が同じという風薫る5月のイスタンブールへと

飛び立ったのだった。
  

  『昔我々は中央アジアで暮らしていたが、砂漠化が進んでわたしたちは西へあなたがたは

 東へと別れていった。そして今またここトルコで逢いましたね』と会場のトルコの人々に

 抱きしめられた。

 とにかく日本人が大好きなのだ。日露戦争時に助けられたこと、海で遭難した皇太子を

 助け暖かくもて なした事など、私たちが忘れかけていることも覚えていて親しみを込めて

 歓迎してくれた。

 それに言語形態がそっくりなこと(動詞が最後にくる) お尻に蒙古斑がでることでも、

 特別な親近感を持っているのかもしれない。



  一人の女子学生が『これはわたしです・・・』と月と女性の絵の前で涙ぐんでいる・・・。

 国が違っても人の心を動かすのに言葉はいらない・・・・。


  その夜 トプカプ宮殿でのオープニングパーティーには2千人もの人々が参加した。

 トルコ軍楽隊の力強い音色が哀調を帯びて夜空に溶け込む頃、

 大きい月が皓皓と輝いて昇ってきた。


  そしていつのまにか大きな踊りの輪が広がっていたのだった。


  トプカプ宮殿見学の親子  トプカプ宮殿の入口
 ここから軍楽隊のパレードがはじまった



  

 100もあるモスク ひときわ目立つのが
 アヤソフィアとブルーモスク
                ドルマバチェ宮殿 船上から



             
  アヤソフィアサライ        イエレバタンサライ  地下宮殿 (メデューサの土台!)
                       ロシアより愛をこめて 007の映画の舞台・・・




 

               ボスフォラス海峡 左側がアジア大陸 右側がヨーロッパ大陸
アジア側に名物鯖パンを食べに行った トルコ語ではやるきめきめき だって・・・




    
    カッパドキアのお店!       クレオパトラも歩いたというマーブルロード・エフェソス




カッパドキァの夜

星空のもと オープニングはトルコの民族舞踊 そしてベリーダンスの華に酔いしれる・・・・・


   


       



                       ダンサーはトルコの全権大使・・・・      司会のスルタンのサインを貰う・・                              




                   
 土耳古と書くとシルクロードの風が吹く             甘いミルクティー・ チャイ
 この道は日本にもつながっている・・・ アンカラにて



                                       
                         
 トプカピ宮殿にて          final party         ホテルの前で



 




 2 華の都 フランス T・・・ディジョン・オルレアン・プロヴァンス


 あっ、ディジョンの町・・・テレビの名曲の旅の画面に見覚えのある塔が映っている。

ディテールの一つで記憶が蘇ってくるほど、早起きをしてスケッチして歩いた懐かしい町だ

 かつて、ブルゴーニュ公国として栄え、凱旋門、オペラ座などがコンパクトにある古都、

ディジョンはパリからTGVで一時間四十分、

 『パリのモデルになったのです』と土地の人は胸を張る。


 1998年のディジョンの個展会場は ヴェルサイユ宮殿のモデルとなったブルゴーニュ大公

宮殿の一室だった。

 140号の『花宇宙』という絵が会場に運び込まれたとき、いつも入口にいて総指揮を

とっているアンドレィさんが足早に近づいてきた。

そして一緒の通訳の人が言った。

 『感動と感謝のキスをしてもいいですか』




 
 その夜、オープニングセレモニーが 鏡の間 で行われた。

シャンデリアの光に、中世の壁画が浮かび上がり フランス王室を凌ぐほどの栄華を誇った

14世紀のブルゴーニュ公国にタイムスリップしたよう・・・。


 そこでの私のいでたちは魔法使いのおばあさんよろしく黒のロングドレス、誰かが云っていた。

 『ほうき、持ってこようか?・・・』


 会場には大勢の人が来てくれた。絵を描いては間に合わないので、字を書いてプレゼントする。

夢という字を何枚も、何枚も。

 和紙に墨で描くと滲むのが不思議らしくなんども質問されるが、 ジャパニーズ・パピエというと

納得して自分でも筆を使って試してみている。

 そして、日本はテクノロジー優先の国だと思っていたが、そうでもないらしいと学生の一人が

つぶやいた。





 その年の暮れ、星を散りばめた美しいクリスマスカードがディジョンから届いた。

   Amikalmennt! Andre    友情を! アンドレイ

   (10年経った今でもカードはクリスマスが近づくとディジョンからと配達される・・・)
         



   
      ディジョンの教会        マルセーユ港

        
            

 
   
   パリのカフェ                     ブルゴ-ニュ公宮殿




     
セザンヌのアトリエ


         プチホテルの螺旋階段とエレベーター



                     

エッフェル塔・パリ

    






           アヴィニョンの橋・ プロヴァンス



1996年フランス オルレアンでの個展は 町の博物館で。

館内の若い学芸員の人、大学生や日本の文化に詳しい先生・・・。

能、歌舞伎、茶道、華道、合気道・・・・はては盆栽の事まで聞かれる。

禅についても質問攻め・・・・道・幽玄・など 精神文化に強い関心が集中している。

もっと勉強してくればよかったと思った・・・が後の祭り!

墨と和紙に興味を示して 毎日通ってくるほど熱心な学生もいた。



 フランスでの個展のお話があったとき 10年ほど前に訪ねた銀色の

パリを思い出し、和紙に墨で描く裸婦の構想が浮かんだ。


裸婦の白さは紙の色そのまま、何を塗ってますかと聞かれたが

何もしてないというと不思議がる・・・。和紙の中でも最も繊維の長い

麻紙で ジャパニーズパピエだというと やっと納得してくれる学生さんに

墨を磨り筆を持たせ 好きに描かせてあげると大喜び。

滲むというおもいがけない感覚と難しさに触れて日本文化はテクノロジー優先では

ないですねー、とも。



 来場者の感想文は一人が1ページ分ぐらいノートにびっしりと書かれていた。

フランス語の翻訳に一ヶ月もかかり、いろんな感想 感激の言葉にに出会えたのは

後のことだったが 言葉の壁は絵がとりのぞいてくれていた・・・。



その後 私の絵は墨による日本画 モノクロの世界・ 抽象にまで広がっている。

きっかけはこの展覧会だったとは今頃になって出会いの不思議を思う。





   


        



  
                                         




旅のルート

パリ・・・オルレアン・・・プロヴァンス・・・アルル・・・マルセーユ

パリ・・・デイジョン・・・ボーヌ

 花遙

フランス U ボーヌとディジョン


 フランスのドゴール空港からパリ市内までのバスの中、そして列車でディジョンに向かう

席も何故か近くて、色々話しかけてくる男性7人ほどのグループがいた。

 ジャパンフェスティバルに和太鼓での参加とか。『絵を描いてください。お願いします』と

再三の申し出に具体的なことはなにもわからないまま、これはお礼ですと、パリで買って

きたばかりのキャンバスを渡され承知してしまった。


 当日、準備に追われる舞台裏、その横の一室に呼ばれて緊迫の空気の中、どれでも

描きやすいものを使ってください、とマジックと口紅の束を渡された。

 その時、これから絵を描くべきキャンバスなるものに、初めて出会った。それは一行の

中堅どころの渋いおじさまの、なんとお腹だったのだ!


 和太鼓に合わせて踊る大きなメランコリックな顔、それが注文だった。

 マジックを手に持って今更逃げるわけにも行かない。失敗も許されない・・・。

 そう思った瞬間、絵描き魂なるものに火がつき、お腹だろうが、何であろうがフランスの人

に恥ずかしくない顔を描こうと決心した。おなかだという違和感も無いほど集中してなんとか

哀愁に満ちた顔ができあがったのだったが・・・・・。



 かつて『きょう 主人は会社の女の子と仕事のお礼とかでレストランに行っているの。

わたし達もそれぐらいのディナーをしましょうよ…』と女性ならありそうなちょっとしたやきもち

からご馳走してくれた友人がいた。

 第1回のジャパンフェスティバルにも参加して親しくなったのだが、翌年彼女は突然この世を

去ってしまった。

その後 彼女のご主人にとって、わたしは彼女に何かが似ているらしくて、彼女の面影

を薄く重ねてくれていた。


 が、ご主人にとってこのお腹がキャンバスの事件は衝撃だった。美的価値観、ユーモア

絵描き魂、すべてが理解できるものではなく、一瞬のうちに重なっていたものがガラガラと崩れ

溶け果ててしまったのだった。




 そして、一番喜んだのは多分天国にいる彼女。今頃はホッとして、にんまりと微笑んでいるに

違いない・・・。


                      





3 ゴールデントライアングル   インド



     空港で到着を待つ人々



 日本の大雪のため、デリー到着は5時間も遅れ、夜の11時をまわっていた。

 ロビーは待ちあぐねた人々でごったがえって黒山の人・・・。この中から・・・、と

不安になったその時、モスグリーンのターバン姿の男性が近づいてきた。

『サトウさんですか?』

 王家の親衛隊の末裔でがっしりとした体格は、シーク教徒ならではの風格だった。

腕に巻いたマリーゴールドの花飾りを首にかけてくれ『インドへようこそ!』

日本語を勉強中のクラナさんだった。


 ホテルの部屋に案内されたが夜風が入ってくる窓がよく閉まらない。

がたがたやっていると頼りがい十分のクラナさんが言った。

 『夜中,僕がこの窓の下で見張ってるから大丈夫!!』

シャワーしてベッドに入ったら疲れがドッと出て気がついたら朝・・・。もしやと覗いた窓の下、

クラナさんはもう(?)いなかった。(やっぱりインドは大らかで不思議な国なのでした。)



 
風の宮殿  ジャイプール


 
                           デリーからアグラへ  車窓から



 汗ばむぐらいの陽気なのに、2月は冬ということで、律儀に毛糸のチョッキを着て

クラナさんが迎えにきてくれた。

『では、出発します。忘れ物は無いです


 スケッチをしていると『説明が済んでからにしてください。ここは侍女たちが

ハダケで遊んだプールです。』(んッ?ハダケで?しどけない?まてよ)

『ハダケではなくハダカでしょ?』訂正してあげる。 と『ありがとう。ハダカですね。ハダカ

といったら、これからずっとサトウさんのこと思い出します』

 それからはスケッチしていても注意されなくなった。クラナさんのBGMでペンも心地よく

滑ったことはいうまでも無い。


 『又来て下さい。必ず!』という言葉を残してクラナさんの大きな姿がロビーから消え、

ブーゲンビリアの花咲き乱れる2月のインドの旅は終わった。来た時と同じくやっぱり

7時間遅れて飛行機は一路日本へと飛び立った。

 ・・・ありがとう!忘れ物はないですヨ。



 
                ジャンタル・マンタル 12の星座 天文台 

            


アグラからジャイプールへ



 (1996年2月のインドの旅だった。
その4年後クラナさんの娘さんの結婚式の招待状が届き、
2000年9月 再びインドを訪れるチャンスが来ようなどとは知るよしもない私だった。




     
アンベール城の王様の寝室・天井にガラスがはめ込まれていて ろうそくの火で輝き幻想的!




働く時もいつでもサリー







旅のルート・・・ニューデリー〜アグラ〜ジャイプール〜ウダイプール








 ドラマチック パノラマ  スイス

マッターホルン




 スグラフイット(壁面装飾)が見たくて、エンガディンの谷に囲まれたグァルダにやって来た。
 

四方を山に囲まれアルプスの花でいっぱいの可愛い駅は無人だった。

もっと奥へ行くという日本から来た一組のご夫婦の列車に手を振って別れると、人影もない・・。

 山の上にあるホテルへは黄色のポストバスで行くはずだったが、停留場の時刻表は

ポツン、ポツンとあるだけで心細い。

何語が返ってくるかわからないけれど、思い切って駅の電話を無断で借りてかけてみる。


(スイスの公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と4つもある!)

 『迎えに行きますから待っていてください』と云っているような男性の声。

陽だまりのベンチで待つこと数分。山の上から赤い車が見え隠れして降りてきて、ハイジの

おじいさんならぬ長身でスリムな紳士がドアを開けてくれた。

支配人のラルフさんだった。


 前から訪ねてみたかった人口300人のこの村の外壁や窓枠にはさまざまな絵が描かれていて

不思議な世界。呪文にかけられたかのように一匹の猫が通っただけで静かだ。

木の階段をぎしぎしとあがった部屋の窓を開けると、アルプスのまぶしく輝く雪の山がどーんと

広がっていた。


 星降る夜のデイナーのデザートは、ご自慢のアイスクリーム。東京から遥々とやって来たけれど

生まれは雪深い秋田です・・・が通じたのか、ラルフさんのご馳走だった。


 次の日、村で一軒しかない荒物屋さんでブルーベリー色ののローソクを買う。夕べの食卓で揺れる

灯があまりにも美しかったから・・・。

 その日の夕刻、サンモリッツに到着。早速馴れた?電話で到着を告げる。と

『夕べ、お泊りのサトウさん・・・?』(間違えてラルフさんにかけてしまっていた・・・!)

『グァルダでは色々と有難うございました』


夏、あのグァルダのローソクは、東京の暑さでゲンナリと伸びて、初めての経験をしていた。

  (連れてきてゴメンネ)



のルート

ジュネーヴ・・・チューリッヒ・・・クール・・・サンモリッツ・・・グアルダ・・・サンモリッツ…氷河特急・・・
ツエルマットスネガ・・・マッターホルン・・・ツエルマット・・・ベルン・・・ビール・・・ジュネーヴ



ジュネーブ空港








             湖畔の保養地を巡って6時間・チューリッヒ湖を堪能・・・・









氷河特急・・・ サンモリッツ〜ツエルマット

車窓より












 

氷河特急の食堂車・・・





スグラフィットの村・グアルダ








乗り換えの駅サメダン











マッターホルン






スイス・ミニゴルフ世界選手権大会・ビール市にて










アグネスとジョヴァン二






グァルダの猫
マッターホルン

                        
異国素描2のページへつづく・・・