佐 藤 緋 呂 子 の 雅 羅 紅 多 展
        ga  ra  ku  ta
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   小さい頃からアクセサリーが大好きで、いつもじゃらじゃら飾っていたかった。
  おしゃれな叔母フヂさんから『淡島さんみたい・・・』とよくいわれていた。
   異国の旅で出逢った可愛いものや、そこにしかない個性豊なものたち・・・
  初めての出逢いで惚れても、高価なものであれば諦めもつくが幸せなことに背丈に合って
  心をときめかせてくれたアクセサリーたち。

   手にとるたびにその出逢った瞬間を思い出し、いつもわたしの心を豊にしてくれている。
  月、星、太陽が好き。水、風、空が好き。そして花、ハートが大好き!
   ここまで何で心惹かれるのかわからないが、この不思議な魅力。
  きっと創り手の個性と情熱、そしてその魔法のような造形性からくるパワーが
  わたしを虜にして離さないのかもしれない・・・。



 

 

インドのデリーからアグラへ向かうバスが小休憩で立ち寄った小さなレストラン。

入口にアクセサリーの小ケースが置いてあって、見るともなしに見た中段の棚にそのリングはあった。

ガイドのクラナさん曰く、こんな小さな店にはいいものが無いから買わないでくださいと。

隙を見てその場で指にはめて買ってしまった。慌てていたせいで出口で思い切り硬い木の扉に

ぶつかった。

その時リングの赤い石に傷がついてしまったがクラナさんには内緒に・・・。

チューリップの花のガーネットに思い切りインドがぶつかってきて刻印されたとしか

思えないこの指輪、あれから十何年もずうっと飽きもせずにお気に入りのまま。

 アクセサリーとの出逢いはいつも衝撃的!


 ニューデリーで一週間のホームステイで別れるとき『ジャィプールで買ったの』とわたしに

プレゼントしてくれたアンジュラ。

 彼女のハネムーンの旅の大事な想い出がつまっているネックレスとイヤリングが

インドから遥々わたしのもとへ来る不思議・・・。

 一人娘同志ということで意気投合して 寝るまでわたしのベッドで話し込んでいた 

彼女、いまどうしているかしら・・・。

 

  


 七宝焼きが好きで自分でも薔薇の花を焼いた指輪もずいぶん創った。

その中の2個はいまトルコのボスフォラス海峡とエジプトのナイル川に眠っている。

 親しい友人が亡くなってゆかりの地を訪れた折に その家族がこれを流しましょうと

持ってきたもの、それは2つとも彼女たちが愛した薔薇の指輪だった。



  




 


  エジプトでクレオパトラがしそうな、でも小さいリングをホテルの売店で求めた。
 
そこの売り子さんがお金を払ったわたしに チップをくださいという。

感じのいい子なので一ドルを渡す。

ついでにわたしには?と冗談に言うと驚いたことに、銀のネックレスをわたしにと差し出した。

クレオパトラの横顔が鎖についていて、もう一目ぼれ!





 ハルさんはわたしの曾おばあちゃん。そしてお嫁にきたヒサおばあちゃんはわたしの祖母。

ふたりともおしゃれな女性だった。母から 櫛・笄・簪などを渡されたとき、代々伝わってきた品と聞かされそう思った。

 ハルさん愛用の紫のマクラメの袋は大正時代のもの。

銀のうさぎさんが象嵌されている朱塗りの箱は多分ヒサさんの宝石いれ。

 わたしは着物を着たときに1度だけ笄を飾ったが 落としたら大変と気になってだめ。専ら鑑賞してたほうが落ち着く。

 母の青春は戦争でもみくちゃにされて、お洒落どころではなかったから身につけ飾ったシーンは何もない。

 銀の装飾品は戦争でお国に全部供出したという。今思えばそんなので弾なんか作れっこないのに・・・。


 1993年の秋、中国山西省の太源の帰り、北京に立ち寄る。

 北京の銀座といわれている王府(?)の繁華街、初めて一人の30分フリータイムだった。

 ドキドキしながら思い切って玉のお店に入るとわたしの好きな色のネックレスがざくざく・・。

 値切るのが当たり前の土地柄 思い切って値切ったら、5本も包んでくれて吃驚。そのときは舞い上がっていたので、

1万円分ぐらいも買ったと思いこんで おまけしてといったのだったが、なんと千円だった。

 本物の玉、千円で5本。悪いなーと思ったが三千円で一ヶ月の生活費と聞けば・・・!!!。

 朱塗りの箱にひしめく。思い出の玉たち・・・。





                          



     調布市でつくってくれたチラシです。   出展者・このはなひろ

                      

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